スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「カルトの子」

コレ実は夏休み前に読み終わってたんですが、いろいろ考えてるとまとまらなくて・・・別に素人の感想なんでほったらかしでもいいんですが、個人的にスルーしがたい内容だったのです。
で、何度も足したり削ったりしたんですけど、全然まとまらない。
もうめんどうなのでこのままUPします。
結局わたしの感想文はうんこみたいなもんなんで「続き」に納めておきます。
ですが本自体は一読の価値ありだと思います。

cult.jpg

「カルトの子―心を盗まれた家族」
米本 和広:著


オウム真理教、エホバの証人、統一教会、ヤマギシは、日本に非常に強く根を張っているカルト集団だと思います。しかしマスコミで語られるのは、カルトへの入信、脱退、ともに「自分の意思で行ったおとな」のことであり、確かにこの著者の言われるとおり、そこに「入信させられた子供たち」のことについては語られず、追求されず、放置されているままです。
自分の意思で入信した大人ですら、カルトの洗脳を受けたのちはその洗脳をとくのに非常な精神ストレスを感じるはずです。いわんやこれが子供であるならなおのこと、心に受けた傷は深いはずです。
「親がカルト入信者だと子供も当然、そのカルトに入信させられる」
この当たり前の構図、当たり前すぎて世間は全然気づいていないのではないか。著者の語りたいことはそこがまず重点になってると思います。

「カルト」の定義はいろいろだと思いますが、基本的には「反社会的な宗教団体」のことを指すのが一般的らしいです。わたしとしては「その「教義」を急進的に勧め/進めようとする宗教団体」と付けたしてもいいんじゃないかと思っています。たとえ「反社会的」ではなくても。

さて、この「入信させられた子供たち」のことを著者は「二世」と記しているのですが、うまい表現だなぁと思いました。そして(一般的な意味での)カルト限定ではなく、「親が熱心に新興宗教をやっているその子ども」という意味で「二世」という言葉を使えるなら、わたしも「二世」でした。そういう点で、個人的に非常に心に迫るものがありました。小さい子どもなんて、親がやりなさいというのならやるものです。わたしも小さいころはわけもわからず、集会についていったり、手を合わせたりしていました。
超メジャーな創*学会や天*教の家に生まれた子どもたちも、親に言われるままに、その宗教を受け入れて「二世」(いまや三世四世かなあ・・)になってるんだと思いますが、
学会二世三世の彼らも、「受け継ぐのが当たり前」のごとく親から宗教教育されてきてるんだと思うんですよね。それにしても上記2つは親の遺志を受け継いでる二世さんが多い。なんでなんでしょうか。

しかし育つにしたがって、それを受け入れられなくなる子どももきっといます。ウチの母がやってたのはカルト的な部分が少なく(しかし新興宗教はどこかしらカルトな部分が必ずあると思う)また母も年頃になったわたしに強く押し付けることはしませんでしたので逃れられたわけですが、それでも「逃れきった感」はありません。なぜならこの本で書かれてる「カルトの子」でありながら「カルトを受け入れられなかった子」たちもそうなのですが、「受け入れられなかった子ども」は自分はハマらなかったことにホッとする反面、「親の期待に背いてしまった」自分に何かしらの罪悪感も感じまるからです。自分もそうで、この歳になっても心のすみっこに引っ掛かりがありました。しかしこの本を読んで、そういう罪悪感は、応えられなかった子どもたちみな負っているもの、しかしその負い目はまったく感じる必要のないものなんだ、と思えたことが、個人的に非常に助かりました。
同時に、「親の押し付け」はカルトに限らず、たとえば「勉強しなさい」のひとことにも含まれがちなので、自分自身への反省にもなりました。そういう点でも読んでよかった本です。(しかしかといって、何も言わない親にもなれない。ううむ)

宗教であれ、なにかの信条をうたう団体であれ、そこに必要以上にハマるひとというのは、その人がいる家庭に何かしらの「問題」があるからだと思います(ウチもそうでした)。「問題」の大小はいろいろだと思いますが、わたし的にはカルト(や新興宗教)にハマるのは、「問題」を解決するのではなく「目を背ける」ことの要素が大きいのではないか、と思うのです。問題に目を背けながら問題に立ち向かってるような錯覚を得られる。無意識のうちに人はそこをありがたがってるんじゃないでしょうか。しかしそれは問題解決にならないどころか、たとえ個人的な悩みが発端でもやがては必ず大なり小なり家族や友人を巻き込みます。特に家族の中に子どもがいる場合、子どもはいとも簡単に巻き込まれ、やがてその団体の矛盾に気づきます。子どもは矛盾に敏感で、そしていろんな世界を知りたがる生き物なのです。親(おとな)はひとつのことを信じていれば幸せかもしれませんが、子どもは自分でいろんなことを体感したいし、体感した上で納得したい。納得した上で、捨てたり、受け入れたりしたい。
そう思うことは自然で、ふつうで、そうあるべきことなのです。
しかしカルトは子どもらにそれを許しません。それ自体が虐待なのだとは、カルトの親信者たちは全く気づかない。

上記四つのカルト団体はどれもマスコミで報道される機会の多い、あるいはちょっと新興宗教について調べれば真っ先に出てくる団体名だと思います(ヤマギシは宗教ではありませんが)。
しかしその中で、信者の子供たちがこれほど虐待を受けているということは知りませんでした。
オウムのサティアンで、劣悪な環境で放置させられた子供たち。
暑い日も寒い日も親の伝道行脚につき合わされ、クラスメイトの前で「エホバだから(七夕などの)行事には参加できません」と「証を立て」させられるエホバの証人の子供たち。
結婚相手を決める自由を奪われる(と言うか、無理やりな結婚をさせられる)統一教会。
そして遊ぶ時間を全て奪われ、休みなく労働を課せられるヤマギシの子供たち。

まぁ大体が、子供に「ある固定の教義」を密室状態で教え込むこと自体が精神的虐待であるわけですが。
これらのカルトに関わる全ての家庭がこう極端なことをしてるとは思わないですが、
しかし少なくとも、「その教義がベスト&オンリーである」という不自然な環境に置かされるのはふつうではない。
子どもがそこに気づけば、親の望みに応えられないことに苦しみ、
気づかないままであれば、2世がやがて3世にと、連鎖がつながっていく。
恐ろしいことです。

わたしの実体験としましては、(笑っちゃうような話なんですが)母はわたしを、母の信心してる某宗教団体の短大(といっても実際は「短大」ではなく、その教義を中心にした花嫁学校のようなもの)に入れて、その筋の男性をお婿に貰って・・・というのが望みだったんです。統一教会の「二世」たちが親から「統一教会の信者と結婚するのが当たり前(選択肢はない)」と教え込まれるそのつらさが、わたしにはわかります。いわゆるお年頃の時期に、恋愛だとか、男女交際だとか、あるいは結婚だとか、そういうことに関して「どうせ好きなようには出来ないんだしなぁ」という諦めが心の中にあり、ハジけられなかったのは今でも悔いが残ってます。まあ宗教問題だけが足枷になってたんでもないですが。
しかしまあそれなりにわたしはその母の期待から抜け出たわけですが、反面今でもやはり母に対して「期待に応えられなくてごめんね」的な感情がどうしてもなくなりきりません(そんなこと思わなくていいとわかってるんですがね)。

今もわたし個人はぜんぜん宗教に関わっていません。神様とか仏様はいると思います。でも何か単一の宗教に関わろうという気は全くありません。
母は相変わらずなのでまぁその辺はぬるいカンジで適当にやってるんですが、しかし今も不安に思うのは、
母が他界したあと、わたしはどうすればいいのだろうということです。
母の魂を、母の望むどおりのあの宗教の方式で、祭るべきなのだろうか。
それが親孝行と言うものだろうか。しかしならばその最終点で、結局わたしは屈してしまうのか、という気持ちもあるんですよね。
(母の望む方式で祭らないと化けて出てこられそうだというのもある・・・笑)
それを「屈する」と表現してしまうのは親不孝なんでしょうけどね。

宗教はなんであれ、人間の心をポジティヴにしたり、幸せにしたり、心のよりどころになったり、悟りを開かせたり(いやこれはなかなか難しいけど)するもんであって、「いいもの」であるはずです。仏壇に手を合わせるおばあちゃんや小さき子の姿はほほえましいし、なんだかんだで神社仏閣に詣でる人々の姿も、それはやはり「いいこと」なんじゃないかなとおもうんですが、
「宗教」と「新興宗教」はどう違うのか。神仏を拝むことには変わりないはずなのですが、なぜか後者は胡散臭い。その説明すらつかない胡散臭いものを自分の親が信じていて、さらにはそれを自分にも押し付けてくる。

でかくて重くて黒いものが、自分の家の中に巣くってる。それをどうにかしてどけてもらいたいんだけど、子どもである自分にはどうにも出来ない。それどころか親はその得体の知れないものを信じろという。イヤだし、うっとおしいし、恥ずかしい。
これがなければむしろ、フツウの家庭になれるのに。

子どもにとって、カルトとはそういうものでしかないんです。
100歩譲って、自分が信じるのは勝手ですが、子どもや伴侶、親戚や近所の人にはゼッタイに勧めないでほしい。周りに勧めないで自分だけで信心して、それで成り立たせてみてほしい。
「それが出来ない」のであれば、やはりそれは「カルト」=反社会的な教え、人に迷惑をかける教え、でしかないということを、わかってほしいと思います。

テーマ: 最近読んだ本 - ジャンル: 本・雑誌

Comment

Post comment

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。